2015年

3月

15日

鍼で肌トラブル解消・体験レポート1-私の肌履歴

顔の肌トラブルとともに暮らして約10年。
「これが私なんだからしょうがない」と、半ばくさっていましたが、

「そんなはずはない!」と一念発起し、

2014年12月からチョイ先生と諸橋さんの施術を受け始めました。

年は40代半ば、現在はホームオフィスで働いています。
これから少しずつですが、私の体験や変化をつづります。
肌トラブルで悩んでいる方たちの参考になれば幸いです。


まずは、私の「肌履歴」から。


私は、いわゆる「ニキビ肌」でした。
脂でテカテカの肌は、大学2年が終わるころまで、ニキビが悩みの種でした。


しかし、特に治療をしたわけでも、生活習慣を変えたわけでもありませんが、
気が付けばニキビはできなくなっていました。
20代は「きれいな肌だね」と、ほめられたこともあります。
脂分多めの肌は、確かにしっとりと滑らかで、
「あんなにひどいニキビ肌だったのに、、、皮膚って変わるんだ」と、
鏡を見ながらホッとしたことを覚えています。


悪い方の変化に気付いたのは、30代も半ばを過ぎてから。
皮膚のハリの衰えや、腰回りに“みっしり”ついた脂肪が気になり始めたころです。
ニキビだか何だかよくわからない、顔の肌のトラブルが目立つようになりました。

婦人科の疾患が見つかり、ほかにもいくつかの病気や不調を経験しました。
体の各所が雪崩を打ったように悲鳴を上げ始めた――そんな感じでした。


振り返れば、肌のトラブルが始まったのは、顔全体にひどい日焼けをしてからです。
それが原因ではないと思いますが、それをきっかけに、肌の調子は急下降していきました。



次に覚えているのは、インフォマーシャルで盛んに宣伝している
ニキビ治療薬を使った後のトラブルです。
そのころは、赤く腫れた大きなニキビが顔全体にできていました。
特にあごの線に沿ってニキビが多く、自分でもゾッとするほどでした。
脂こい食べ物や甘い物、刺激物を避けても、翌朝にはまた新しいニキビ。
ニキビの原因は食べ物と思っていた私は、「これ以上、何をすればいいの?」と、
途方にくれました。


そんなとき、インフォマーシャルで知ったニキビ治療薬を購入しました。しかし、
使い始めた日の翌朝、顔全体が真っ赤に腫れ上がりました。
成分が私の肌に合わなかったのでしょう。
使い方も、誤ったのかもしれません。
急いで皮膚科クリニックに行きました。


そのときは、薬効成分入りのローションと、皮膚の炎症を治療する軟膏を処方されました。
いずれもステロイドではありません。
経口薬も飲みましたが、それが何だったかは覚えていません。
数週間後、ゆで卵の殻を剥いだあとのように、肌はつるんとキレイになりました。


しかし、喜んだのもつかの間、ニキビはたちまち再発しました。
クリニックで処方された薬効成分入りのローションが手放せなくなりました。

そのうち、ニキビとは違う、赤い湿疹が顔全体に出てきました。
いろんなクリニックに行き、軟膏や、ステロイドの経口薬と塗り薬など、
ドクターから薬を処方されました。
治療するといったん症状は治まるのですが、すぐに再発し、また薬に戻る――を繰り返しました。


こういう状態が何年か続いた後、肌トラブルがぴたりと起きなくなりました。ホルモンの変化かしら――と、勝手に納得しました。

ところがそれも長くは続かず。
数年後、ニキビと湿疹が顔全体に再発し、いまに至ります。


チョイ先生に会うまでは、「おそるおそる」という感じで、ステロイドの塗り薬を使っていました。
症状は緩和しますが、完全にきれいになることはありません。
ステロイドを止めると、症状は再発しました。


「もうお手上げ、どうにでもなれ」と、やけになりました。
肌トラブル以外にも、公私ともに情けないことが続いた時期でもありました。


一方で、大げさに聞こえるかもしれませんが、「残りの人生、あきらめちゃいけない」という気持ちもありました。


鍼治療は、体質を改善すると聞きます。
10年も続くトラブルが、一昼夜で治るとは思っていません。
何年もかかるかもしれないし、治らないかもしれません。
でも、自分の体や内面に、じっくり向き合ってみようと思います。

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2015年

1月

16日

鍼で減量!体験レポート、スタートです

ダイエット―。

それは、女性にとって、永遠のテーマな気がします。

決して、ダイエットが必要な人でなくとも、「痩せたい」願望は何なのでしょう。

日本人特有かもしれません。

スレンダー≒美しいという発想なのか。

実際に、スレンダーなプロポーションというのは、美しい。

ただ、痩せているというだけでは、決して美しいカラダとは言えないよな、というのが私の自論なのですが、、。

 

…と冒頭より、語り口調で始まってしまいましたが、この場をお借りして、これからダイエットレポートをします、マイアミと申します。

ダイエットレポート?と思うかもしれませんが、ずばりは、鍼の力を借りてのダイエットです。

 

鍼、、ダイエット?

 

何が関係あるの?と思われるかもしれませんが、実のところ、長年中国では、無理なく健康的に減量したいという人たちの間で鍼が利用されてきていたのです。大きく分けると、鍼での減量効果は2つあると言われています。

1つ目は、ツボを刺激して食欲をコントロールするもの。2つ目は、ストレスの緩和。鍼は体内をめぐる気の流れを整える働きもありますが、気を整えることで、ストレスを感じにくいカラダにもなっていくとか。

また、鍼での刺激は、マッサージ(指で押す)だけでは届かない皮膚組織の奥まで届きます。その刺激が臓器本来の持つ働きを調整し、体内のバランスを整えます。

臓器が正しく働くことは、代謝をあげることに繋がり、結果、痩せやすい身体へとなっていくのです。

また、メンタル面(ストレスがない状態)においても、重要なこと。ストレスが溜まって、つい食べること、飲むことに走って…という人も多いはず。

 

そんな鍼の減量効果を知り、健康的に無理なく痩せられるなら…と、

このたび、私もトライしてみようと決意したわけです。

 

そもそも、今までダイエット経験のない私。

(そりゃダイエットには興味はありましたが、食事制限は嫌だし(痩せるより美味しいものを食べたい欲の方が大きい)、小学生のときからずーーーーっと運動をしていたこともあり、痩せることよりも、筋力をつけて、、、の方にフォーカスしていたこともあるのかもしれません。

 

さらに、ここ3年程で、マラソンに目覚めた私。

そこで、はたと気づいたわけです。走るために痩せたい、、かも。

言わずもがな、軽いと速く走れるわけです。

もちろん、今走っていてもキツイわけではなく、トレーニングを重ねるごとに記録(タイム)は縮まっているのですが、これであと3キロ軽ければもっと速く…と欲が出てくるのも事実。

もちろん、軽ければ必ず速くなるとは限りませんが、少なくとも、記録を縮めるためのひとつの要素にはなる。

普通は、「痩せる為に走る」かもしれませんが、私は、「走る為に痩せる」。

 

そう、これが大きなポイントです。

ただし、ランナーにとっては、筋力も大切なため、単に体重を落とせばいいわけでもありません。

ですから、筋トレも必要。筋肉を落としては本末転倒。

要は、ボクサーやランナーがしている減量!と書くと何ともストイック!!!

それを己でやろうとしているのだから、、、自分でも笑いそうになりますが、真剣です。

 

そう、目指すは、美しいカラダづくりです。

 

…というわけで、このたび、マイケル先生のアドバイスを頂きながら、

鍼での減量プログラムにチャレンジ。

もちろん、鍼を打つから痩せる…なんて単純で生易しいことは起こりません。

基本は、食生活と運動、要はバランスのとれた生活から。食べなきゃ痩せるのは当たり前。

しかし、私は食べることを制限するのは苦しくなってしまうため、食べることに気をつけはしますが、

あくまでも無理な制限はせずに。運動と生活習慣、鍼の刺激で減量を目指します。


早速ですが、初回の治療を終えてきました。

ちょうど右腿の裏(ハムストリングス)を痛めていたこともあり、初回はその右腿の治療も兼ねて。

いきなり腿に鍼を打たれると思いきや、まずは、マイケル先生が私の脈をはかり、腕と足首に鍼が。

その2か所に鍼を打つことで、全身の血液やリンパ液、その他エネルギーの流れ等を調整、

整えていくことなのだそう。

足首と腕にそれぞれ2~3本の鍼を打たれただけなのに、その数分後私のお腹がキュルキュルと鳴り出したからびっくり。

身体の正直な反応に思わずびっくりしたのはいうまでもなく。


その後、右太腿裏に鍼が打たれ、そのまま30分程置かれていたのですが、

気がついたら爆睡していました。

体内の気、脳に刺激が届き、心地よい眠りに導かれたのでしょう。

眠りに落ちた記憶がありません。

 

鍼は身体の内側に働きかけていくものなので、その効果は即効性というよりは、

時間をかけてじっくり…というもの。

長い目で見て、じっくり自分の身体と向き合うにもいいチャンスです。

おかげ様で右腿の調子は3週間程かけて徐々に良くなってきました。

引き続き、鍼で減量プロジェクトに励みます。

 

さぁ、どうなることか。

気長にお付き合い頂ければ幸いです。

 

どきどき、どうなることやら…。

お楽しみに。

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2015年

1月

15日

最終章ーニューヨークにて。

あれやこれやと綴られてきたエピソードも、これが最終章となりました。

ここでは、NYライセンスを取らなければなりません。
これにはお金と時間がかなりかかります。
NY
は学校は沢山ありますが、エステティシャンのクラスは少ないのが現状。
働きながら行く事は不可能に近い状態。

故に、 諦め掛けていた時に良い学校が見つかりました。
時間はかかりますが、これなら私にもできそう。

…と意を決し、学校に通うことにしました。
が、気軽に考えていた私の地獄の日々の始まりでした。

先生は日本の方でしたが、テキストを見て愕然。

英語が難しくて、皮膚、筋肉、解剖学…日本語でも理解が難しいのに。。。
単語の意味を理解する事から、1ページ理解するのに何時間もかかる状態。
単語ひとつを覚えると前の単語を全て忘れている状態。。
途方に暮れる日々でした。
加えて通常の仕事も多忙。

睡眠時4時間の日々が何カ月も続き、常に単語帳を片手の日々。
なり不利構わず勉学の日々を過ごしました。

私の場合は有難い事に、ライセンスを取得してからの仕事が決まっており、
マイケル先生の無言のプレシャーに逃避行したい気持ちに襲われていました・
今思い返すと精神が正常で無かったかもしれません。

友人の協力もあり、日本語での理解を諦め、英語で理解した方が簡単だろうと
英語で毎日ブツブツと単語を覚えた事を懐かしく思い出します。

NY
ライセンスの試験は難しく、今まで勉強した試験模擬問題はなし。
悲しい事に質問の意味も分からない問題もあり。

4択ですがどれも正解な気がして泣きそうでした。

ともあれ、どうにかNYライセンスを取得する事が出来ました。
沢山の友人が助けて頂いた事に感謝の気持ちで一杯です。

ライセンスを取得してから忙しくクリニックでの仕事の準備に追われ、
通常であれば何方の指示を仰げば済む事も、

今回は全て私一人の判断で決め無くては成らず厳しい船出となりました。

ふとした瞬間、 会社の新人の時を思い出し、教えて頂ける事の有り難さを実感しました。
新人の時は厳しい先輩方を疎ましく思ったり理不尽に思っりと色々ありますが、
その経験が今仕事に生かされているので、新人研修の大切さを痛感しています。


エステティシャンのインターンを経験してない私は、手探りの状態から。

今までドクターと患者の関係から、チームマイケルメンバーになり

始めて英語環境での仕事で、どうなるのか不安の日々。
NY
ライセンスで苦労した事など、たわいもない事でした。

この1年、色々な事がありました。
お腹を抱えて笑転げた事、不安で悩んで眠れない日が続いた事、

意見の相違でこれ以上チームメンバーを続ける事は無理と伝えた事もありました。
その都度色々な方に励まし頂き、一番忍耐強く我慢をしているマイケル先生。
何時も中立の立場でジャッジをしてチームのバランスを取っている真弓さん。
お二人のお陰でどうにかここまで辿り着く事が出来ました。

マンハッタンオフィスもオープン出来ました。
まさかこんなに早くマンハッタンオフィスが開けるとは考えておりませんでした。

1
年前より現在の方がチームの関係はズームです。
それはお互いに信頼関係が少し芽生えたからだと思います。
チームが上手くいく一番の方法は、お互い感謝をしながらも

自分の仕事に対して プロフェッショナルを徹底する事だと、この1年で学びました。

自分の夢を求めて 始めた計画から5年が過ぎました。
年齢と共に 一歩踏み出す勇気が消極的になりがちですが、どうか 皆さん。

勇気を出して 消極的な気持ちを踏み超えて下さい。
怠け者の私がスタートラインに立てたのです。

努力と仕事は絶対に自分を裏切る事はありません。
残念ながら時間には限りがあります。
後悔のない 素晴らしい人生をご自身の手で是非、切りひらいで下さい。


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2015年

1月

07日

タイでの修業

街から車まで走ること40分。

やっと3週間生活する学校のドミトリーに着きました。
ミトリーと言っても コテージ付きのホテルです。
ドミトリーには 選択肢が色々とありましたが、朝晩まで校内で過ごし
部屋までクラスメイトが居てはストレスが溜まるだろうと、私は個室を選択。
コテージホテルのオーナーはイギリス人の方で、タイ人の奥様と二人で切り盛りしています。


日々のスケジュールといえば、朝スクールバスが迎えに来て、朝食は学校でタイ料理を食べ、その後 クラスが始まる流れ。
私は個人レッスンで瞑想のクラスを受けましたが、実際にタイのお寺で瞑想をしました。
尼寺で修行をしている方と食事をしたのが今も印象に残っています。

クラスが終わると、街に繰り出す人、ドミトリーで過ごす人、補習を受ける人…とさまざま。
私は人気のある先生に補習を受ける事が多く、それを受けないと明日のクラスについていけないのです。

補習のクラスの後はホテルに戻り一人で練習。

それの繰り返しの日々でたまにストレスが溜まると、放課後街に繰り出すこともありました。

が、勉強のために受けるマサージくらい。

試験の事が気になってリラックス出来る状態ではないのです!

一番大変だったのは、オイルマサージのクラスです。

手順もさることながら、人によって力加減もエネルギーの状態も違い、

悪いエネルギーを受けてしまう事もあるのです。

最初は、その対処の仕方も分からず苦労しました。
タイ古式マサージのクラスを受けている人は、日本で既にお店を持っている方もいらして、

そんな方々から色々お話を伺うと、皆さん勉強熱心で驚くばかり。

今回のメインのフットマサージのクラスは なんと、個人レッスンとなりました。
生徒は私ひとりのみ。

ラッキーなのかよくわかりませんが、先生、通訳の方、モデルの方…と私。

5日間、朝から夕方までかなり厳しく指導を受けました。


通常は、最終日の試験に受からなければ再試験を受けられますが、

私のスケジュールの予定では試験後、その日の夜の飛行機で帰国しなければなりませんので
落ちる事は出来ないのです。
私は手が小さい割に力が強いため、力の入れ方の強弱が理解出来ず、かなり苦労しました。

タイのリフレクソロジーは中国スタイルと違い、ソフトタッチでリラックスを促すもの。
ポイントを強く刺激しても軽い刺激でも効果は変わりないため、
ゆっくり施術するスタイルを習いました。
本当にリラックスして 幸せな気分になれますが、意外にソフトタッチの施術が難しく
先生に叱られてばかりの日々。

私自身、強いマッサージを好んで受けてきましたが、

タイマッサージを体験してからはソフトタッチのマッサージを好んで受けるようにも。

こうして先生方の協力のもと、最終試験に無事に合格。

慌ただしく飛行場に向かいニュヨークへ帰国したのでした。

タイで一度だけ、マンダリンホテルのフェイシャルを受けに行きました。
しっかり勉強するつもりが、気がつきたら 全て終了していたのです。
施術の間、熟睡した事が唯一後悔している事。。。


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2014年

11月

29日

タイへ学びに行く決断

私は足のマッツサージをした翌日はお肌の状態が良いので、

月に数回足のマッサージに通っていました。

機会があれば習いたいとさえ思っておりました。
偶然に主人は仕事の関係で、タイのバンコクに行く機会が多々あり、

バンコクに行く度にタイ古式マッサージを受けており、腰痛を治してしまいました。

家でその話を力説する主人に少し興味を持ち、ネットで学校を検索したところ、

バンコクではなくチェンマイに学校を見つけました。

ただ、タイ古式マッサージは体をクライアントと密接し過ぎるため、ニューヨーク向きではない。

であれば、足マッサージとタイエステ、オイルマッサージ、

瞑想のクラスを受けたいと漠然と考えておりました。
しかし、直ぐに行動を起こす気持ちにはなれず。。

一歩踏み出す事の恐怖があったのだと思います。
月日は流れ、季節も冬から春になっていました。

そんな想いを再会した友人に話したところ、彼女からひとこと。

 

「こずえさん、時は待ってくれませんよ。今直ぐに飛び立ちなさい」と。


私はそのひとことで決断。バタバタと学校を手配し、会社に休暇を出し、

翌週にはタイ行きの飛行機に乗っていました。
目まぐるしい1週間でしたが、自分の決意が迷わないうちに手配を完了させないと、

飛び立つ決意が崩れて生涯後悔する人生を送る気がしたからです。

私の友人たちの反応は様々でした。

何事が起きたのか分からず、「貴方の行動は理解に苦しむ」と話す人、 黙って見ている人、

応援してくれる人、、、面白い反応でした。

ネットで学校の手配を終え、少し冷静になって考えてみた時に、

「すべてネットで申し込んだわけだし、実際にチェンマイの空港に着いて、

騙され事に気が付いたどうしよう。。。」
なんていう恐怖が生まれてきました。
会社によくタイに旅行する人がいたので、その方にタイの事情を教えてもらいました。

偶然にも、私が入学する学校のオーナー方にお会いした事があるとの事で、

取り敢えず学校が存在する事は確認出来て安心。
直接学校に電話をかけて、オーナーの方とお話をする事ができ、さらにほっとひと息。

偶然にも、お父様のお仕事の関係でニューヨークに住んでいた事があるとの事でした。

そうこうしているうちに出発のときが。

家族に送り出してもらい、バンコク経由でチェンマイに着きました。

無我夢中で準備をし、飛行機の中で色々考えをまとめ、ある程度覚悟はしてきましたが

後悔の無い人生を送ると自分に誓い、後戻り出来ない事を再確認して

チェンマイの空港に着きました。
オーナーの方直々にお迎えに来て頂き 一緒にモールの中で食事をして学校のドミトリーに向かいました。

 

楽しかったのはここまです 何処をどのくらい走ったか記憶にありませんが、山奥に向かっている事は間違いが無く、

ひたすら暗い山道を走っていました。

電気の灯りは 車のライトだけで、街灯も対向車もなし。

ニューヨークとは正反対の世界に突入したのでした。

2015年

3月

15日

鍼で肌トラブル解消・体験レポート1-私の肌履歴

顔の肌トラブルとともに暮らして約10年。
「これが私なんだからしょうがない」と、半ばくさっていましたが、

「そんなはずはない!」と一念発起し、

2014年12月からチョイ先生と諸橋さんの施術を受け始めました。

年は40代半ば、現在はホームオフィスで働いています。
これから少しずつですが、私の体験や変化をつづります。
肌トラブルで悩んでいる方たちの参考になれば幸いです。


まずは、私の「肌履歴」から。


私は、いわゆる「ニキビ肌」でした。
脂でテカテカの肌は、大学2年が終わるころまで、ニキビが悩みの種でした。


しかし、特に治療をしたわけでも、生活習慣を変えたわけでもありませんが、
気が付けばニキビはできなくなっていました。
20代は「きれいな肌だね」と、ほめられたこともあります。
脂分多めの肌は、確かにしっとりと滑らかで、
「あんなにひどいニキビ肌だったのに、、、皮膚って変わるんだ」と、
鏡を見ながらホッとしたことを覚えています。


悪い方の変化に気付いたのは、30代も半ばを過ぎてから。
皮膚のハリの衰えや、腰回りに“みっしり”ついた脂肪が気になり始めたころです。
ニキビだか何だかよくわからない、顔の肌のトラブルが目立つようになりました。

婦人科の疾患が見つかり、ほかにもいくつかの病気や不調を経験しました。
体の各所が雪崩を打ったように悲鳴を上げ始めた――そんな感じでした。


振り返れば、肌のトラブルが始まったのは、顔全体にひどい日焼けをしてからです。
それが原因ではないと思いますが、それをきっかけに、肌の調子は急下降していきました。



次に覚えているのは、インフォマーシャルで盛んに宣伝している
ニキビ治療薬を使った後のトラブルです。
そのころは、赤く腫れた大きなニキビが顔全体にできていました。
特にあごの線に沿ってニキビが多く、自分でもゾッとするほどでした。
脂こい食べ物や甘い物、刺激物を避けても、翌朝にはまた新しいニキビ。
ニキビの原因は食べ物と思っていた私は、「これ以上、何をすればいいの?」と、
途方にくれました。


そんなとき、インフォマーシャルで知ったニキビ治療薬を購入しました。しかし、
使い始めた日の翌朝、顔全体が真っ赤に腫れ上がりました。
成分が私の肌に合わなかったのでしょう。
使い方も、誤ったのかもしれません。
急いで皮膚科クリニックに行きました。


そのときは、薬効成分入りのローションと、皮膚の炎症を治療する軟膏を処方されました。
いずれもステロイドではありません。
経口薬も飲みましたが、それが何だったかは覚えていません。
数週間後、ゆで卵の殻を剥いだあとのように、肌はつるんとキレイになりました。


しかし、喜んだのもつかの間、ニキビはたちまち再発しました。
クリニックで処方された薬効成分入りのローションが手放せなくなりました。

そのうち、ニキビとは違う、赤い湿疹が顔全体に出てきました。
いろんなクリニックに行き、軟膏や、ステロイドの経口薬と塗り薬など、
ドクターから薬を処方されました。
治療するといったん症状は治まるのですが、すぐに再発し、また薬に戻る――を繰り返しました。


こういう状態が何年か続いた後、肌トラブルがぴたりと起きなくなりました。ホルモンの変化かしら――と、勝手に納得しました。

ところがそれも長くは続かず。
数年後、ニキビと湿疹が顔全体に再発し、いまに至ります。


チョイ先生に会うまでは、「おそるおそる」という感じで、ステロイドの塗り薬を使っていました。
症状は緩和しますが、完全にきれいになることはありません。
ステロイドを止めると、症状は再発しました。


「もうお手上げ、どうにでもなれ」と、やけになりました。
肌トラブル以外にも、公私ともに情けないことが続いた時期でもありました。


一方で、大げさに聞こえるかもしれませんが、「残りの人生、あきらめちゃいけない」という気持ちもありました。


鍼治療は、体質を改善すると聞きます。
10年も続くトラブルが、一昼夜で治るとは思っていません。
何年もかかるかもしれないし、治らないかもしれません。
でも、自分の体や内面に、じっくり向き合ってみようと思います。

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2015年

1月

16日

鍼で減量!体験レポート、スタートです

ダイエット―。

それは、女性にとって、永遠のテーマな気がします。

決して、ダイエットが必要な人でなくとも、「痩せたい」願望は何なのでしょう。

日本人特有かもしれません。

スレンダー≒美しいという発想なのか。

実際に、スレンダーなプロポーションというのは、美しい。

ただ、痩せているというだけでは、決して美しいカラダとは言えないよな、というのが私の自論なのですが、、。

 

…と冒頭より、語り口調で始まってしまいましたが、この場をお借りして、これからダイエットレポートをします、マイアミと申します。

ダイエットレポート?と思うかもしれませんが、ずばりは、鍼の力を借りてのダイエットです。

 

鍼、、ダイエット?

 

何が関係あるの?と思われるかもしれませんが、実のところ、長年中国では、無理なく健康的に減量したいという人たちの間で鍼が利用されてきていたのです。大きく分けると、鍼での減量効果は2つあると言われています。

1つ目は、ツボを刺激して食欲をコントロールするもの。2つ目は、ストレスの緩和。鍼は体内をめぐる気の流れを整える働きもありますが、気を整えることで、ストレスを感じにくいカラダにもなっていくとか。

また、鍼での刺激は、マッサージ(指で押す)だけでは届かない皮膚組織の奥まで届きます。その刺激が臓器本来の持つ働きを調整し、体内のバランスを整えます。

臓器が正しく働くことは、代謝をあげることに繋がり、結果、痩せやすい身体へとなっていくのです。

また、メンタル面(ストレスがない状態)においても、重要なこと。ストレスが溜まって、つい食べること、飲むことに走って…という人も多いはず。

 

そんな鍼の減量効果を知り、健康的に無理なく痩せられるなら…と、

このたび、私もトライしてみようと決意したわけです。

 

そもそも、今までダイエット経験のない私。

(そりゃダイエットには興味はありましたが、食事制限は嫌だし(痩せるより美味しいものを食べたい欲の方が大きい)、小学生のときからずーーーーっと運動をしていたこともあり、痩せることよりも、筋力をつけて、、、の方にフォーカスしていたこともあるのかもしれません。

 

さらに、ここ3年程で、マラソンに目覚めた私。

そこで、はたと気づいたわけです。走るために痩せたい、、かも。

言わずもがな、軽いと速く走れるわけです。

もちろん、今走っていてもキツイわけではなく、トレーニングを重ねるごとに記録(タイム)は縮まっているのですが、これであと3キロ軽ければもっと速く…と欲が出てくるのも事実。

もちろん、軽ければ必ず速くなるとは限りませんが、少なくとも、記録を縮めるためのひとつの要素にはなる。

普通は、「痩せる為に走る」かもしれませんが、私は、「走る為に痩せる」。

 

そう、これが大きなポイントです。

ただし、ランナーにとっては、筋力も大切なため、単に体重を落とせばいいわけでもありません。

ですから、筋トレも必要。筋肉を落としては本末転倒。

要は、ボクサーやランナーがしている減量!と書くと何ともストイック!!!

それを己でやろうとしているのだから、、、自分でも笑いそうになりますが、真剣です。

 

そう、目指すは、美しいカラダづくりです。

 

…というわけで、このたび、マイケル先生のアドバイスを頂きながら、

鍼での減量プログラムにチャレンジ。

もちろん、鍼を打つから痩せる…なんて単純で生易しいことは起こりません。

基本は、食生活と運動、要はバランスのとれた生活から。食べなきゃ痩せるのは当たり前。

しかし、私は食べることを制限するのは苦しくなってしまうため、食べることに気をつけはしますが、

あくまでも無理な制限はせずに。運動と生活習慣、鍼の刺激で減量を目指します。


早速ですが、初回の治療を終えてきました。

ちょうど右腿の裏(ハムストリングス)を痛めていたこともあり、初回はその右腿の治療も兼ねて。

いきなり腿に鍼を打たれると思いきや、まずは、マイケル先生が私の脈をはかり、腕と足首に鍼が。

その2か所に鍼を打つことで、全身の血液やリンパ液、その他エネルギーの流れ等を調整、

整えていくことなのだそう。

足首と腕にそれぞれ2~3本の鍼を打たれただけなのに、その数分後私のお腹がキュルキュルと鳴り出したからびっくり。

身体の正直な反応に思わずびっくりしたのはいうまでもなく。


その後、右太腿裏に鍼が打たれ、そのまま30分程置かれていたのですが、

気がついたら爆睡していました。

体内の気、脳に刺激が届き、心地よい眠りに導かれたのでしょう。

眠りに落ちた記憶がありません。

 

鍼は身体の内側に働きかけていくものなので、その効果は即効性というよりは、

時間をかけてじっくり…というもの。

長い目で見て、じっくり自分の身体と向き合うにもいいチャンスです。

おかげ様で右腿の調子は3週間程かけて徐々に良くなってきました。

引き続き、鍼で減量プロジェクトに励みます。

 

さぁ、どうなることか。

気長にお付き合い頂ければ幸いです。

 

どきどき、どうなることやら…。

お楽しみに。

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2015年

1月

15日

最終章ーニューヨークにて。

あれやこれやと綴られてきたエピソードも、これが最終章となりました。

ここでは、NYライセンスを取らなければなりません。
これにはお金と時間がかなりかかります。
NY
は学校は沢山ありますが、エステティシャンのクラスは少ないのが現状。
働きながら行く事は不可能に近い状態。

故に、 諦め掛けていた時に良い学校が見つかりました。
時間はかかりますが、これなら私にもできそう。

…と意を決し、学校に通うことにしました。
が、気軽に考えていた私の地獄の日々の始まりでした。

先生は日本の方でしたが、テキストを見て愕然。

英語が難しくて、皮膚、筋肉、解剖学…日本語でも理解が難しいのに。。。
単語の意味を理解する事から、1ページ理解するのに何時間もかかる状態。
単語ひとつを覚えると前の単語を全て忘れている状態。。
途方に暮れる日々でした。
加えて通常の仕事も多忙。

睡眠時4時間の日々が何カ月も続き、常に単語帳を片手の日々。
なり不利構わず勉学の日々を過ごしました。

私の場合は有難い事に、ライセンスを取得してからの仕事が決まっており、
マイケル先生の無言のプレシャーに逃避行したい気持ちに襲われていました・
今思い返すと精神が正常で無かったかもしれません。

友人の協力もあり、日本語での理解を諦め、英語で理解した方が簡単だろうと
英語で毎日ブツブツと単語を覚えた事を懐かしく思い出します。

NY
ライセンスの試験は難しく、今まで勉強した試験模擬問題はなし。
悲しい事に質問の意味も分からない問題もあり。

4択ですがどれも正解な気がして泣きそうでした。

ともあれ、どうにかNYライセンスを取得する事が出来ました。
沢山の友人が助けて頂いた事に感謝の気持ちで一杯です。

ライセンスを取得してから忙しくクリニックでの仕事の準備に追われ、
通常であれば何方の指示を仰げば済む事も、

今回は全て私一人の判断で決め無くては成らず厳しい船出となりました。

ふとした瞬間、 会社の新人の時を思い出し、教えて頂ける事の有り難さを実感しました。
新人の時は厳しい先輩方を疎ましく思ったり理不尽に思っりと色々ありますが、
その経験が今仕事に生かされているので、新人研修の大切さを痛感しています。


エステティシャンのインターンを経験してない私は、手探りの状態から。

今までドクターと患者の関係から、チームマイケルメンバーになり

始めて英語環境での仕事で、どうなるのか不安の日々。
NY
ライセンスで苦労した事など、たわいもない事でした。

この1年、色々な事がありました。
お腹を抱えて笑転げた事、不安で悩んで眠れない日が続いた事、

意見の相違でこれ以上チームメンバーを続ける事は無理と伝えた事もありました。
その都度色々な方に励まし頂き、一番忍耐強く我慢をしているマイケル先生。
何時も中立の立場でジャッジをしてチームのバランスを取っている真弓さん。
お二人のお陰でどうにかここまで辿り着く事が出来ました。

マンハッタンオフィスもオープン出来ました。
まさかこんなに早くマンハッタンオフィスが開けるとは考えておりませんでした。

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年前より現在の方がチームの関係はズームです。
それはお互いに信頼関係が少し芽生えたからだと思います。
チームが上手くいく一番の方法は、お互い感謝をしながらも

自分の仕事に対して プロフェッショナルを徹底する事だと、この1年で学びました。

自分の夢を求めて 始めた計画から5年が過ぎました。
年齢と共に 一歩踏み出す勇気が消極的になりがちですが、どうか 皆さん。

勇気を出して 消極的な気持ちを踏み超えて下さい。
怠け者の私がスタートラインに立てたのです。

努力と仕事は絶対に自分を裏切る事はありません。
残念ながら時間には限りがあります。
後悔のない 素晴らしい人生をご自身の手で是非、切りひらいで下さい。


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2015年

1月

07日

タイでの修業

街から車まで走ること40分。

やっと3週間生活する学校のドミトリーに着きました。
ミトリーと言っても コテージ付きのホテルです。
ドミトリーには 選択肢が色々とありましたが、朝晩まで校内で過ごし
部屋までクラスメイトが居てはストレスが溜まるだろうと、私は個室を選択。
コテージホテルのオーナーはイギリス人の方で、タイ人の奥様と二人で切り盛りしています。


日々のスケジュールといえば、朝スクールバスが迎えに来て、朝食は学校でタイ料理を食べ、その後 クラスが始まる流れ。
私は個人レッスンで瞑想のクラスを受けましたが、実際にタイのお寺で瞑想をしました。
尼寺で修行をしている方と食事をしたのが今も印象に残っています。

クラスが終わると、街に繰り出す人、ドミトリーで過ごす人、補習を受ける人…とさまざま。
私は人気のある先生に補習を受ける事が多く、それを受けないと明日のクラスについていけないのです。

補習のクラスの後はホテルに戻り一人で練習。

それの繰り返しの日々でたまにストレスが溜まると、放課後街に繰り出すこともありました。

が、勉強のために受けるマサージくらい。

試験の事が気になってリラックス出来る状態ではないのです!

一番大変だったのは、オイルマサージのクラスです。

手順もさることながら、人によって力加減もエネルギーの状態も違い、

悪いエネルギーを受けてしまう事もあるのです。

最初は、その対処の仕方も分からず苦労しました。
タイ古式マサージのクラスを受けている人は、日本で既にお店を持っている方もいらして、

そんな方々から色々お話を伺うと、皆さん勉強熱心で驚くばかり。

今回のメインのフットマサージのクラスは なんと、個人レッスンとなりました。
生徒は私ひとりのみ。

ラッキーなのかよくわかりませんが、先生、通訳の方、モデルの方…と私。

5日間、朝から夕方までかなり厳しく指導を受けました。


通常は、最終日の試験に受からなければ再試験を受けられますが、

私のスケジュールの予定では試験後、その日の夜の飛行機で帰国しなければなりませんので
落ちる事は出来ないのです。
私は手が小さい割に力が強いため、力の入れ方の強弱が理解出来ず、かなり苦労しました。

タイのリフレクソロジーは中国スタイルと違い、ソフトタッチでリラックスを促すもの。
ポイントを強く刺激しても軽い刺激でも効果は変わりないため、
ゆっくり施術するスタイルを習いました。
本当にリラックスして 幸せな気分になれますが、意外にソフトタッチの施術が難しく
先生に叱られてばかりの日々。

私自身、強いマッサージを好んで受けてきましたが、

タイマッサージを体験してからはソフトタッチのマッサージを好んで受けるようにも。

こうして先生方の協力のもと、最終試験に無事に合格。

慌ただしく飛行場に向かいニュヨークへ帰国したのでした。

タイで一度だけ、マンダリンホテルのフェイシャルを受けに行きました。
しっかり勉強するつもりが、気がつきたら 全て終了していたのです。
施術の間、熟睡した事が唯一後悔している事。。。


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2014年

11月

29日

タイへ学びに行く決断

私は足のマッツサージをした翌日はお肌の状態が良いので、

月に数回足のマッサージに通っていました。

機会があれば習いたいとさえ思っておりました。
偶然に主人は仕事の関係で、タイのバンコクに行く機会が多々あり、

バンコクに行く度にタイ古式マッサージを受けており、腰痛を治してしまいました。

家でその話を力説する主人に少し興味を持ち、ネットで学校を検索したところ、

バンコクではなくチェンマイに学校を見つけました。

ただ、タイ古式マッサージは体をクライアントと密接し過ぎるため、ニューヨーク向きではない。

であれば、足マッサージとタイエステ、オイルマッサージ、

瞑想のクラスを受けたいと漠然と考えておりました。
しかし、直ぐに行動を起こす気持ちにはなれず。。

一歩踏み出す事の恐怖があったのだと思います。
月日は流れ、季節も冬から春になっていました。

そんな想いを再会した友人に話したところ、彼女からひとこと。

 

「こずえさん、時は待ってくれませんよ。今直ぐに飛び立ちなさい」と。


私はそのひとことで決断。バタバタと学校を手配し、会社に休暇を出し、

翌週にはタイ行きの飛行機に乗っていました。
目まぐるしい1週間でしたが、自分の決意が迷わないうちに手配を完了させないと、

飛び立つ決意が崩れて生涯後悔する人生を送る気がしたからです。

私の友人たちの反応は様々でした。

何事が起きたのか分からず、「貴方の行動は理解に苦しむ」と話す人、 黙って見ている人、

応援してくれる人、、、面白い反応でした。

ネットで学校の手配を終え、少し冷静になって考えてみた時に、

「すべてネットで申し込んだわけだし、実際にチェンマイの空港に着いて、

騙され事に気が付いたどうしよう。。。」
なんていう恐怖が生まれてきました。
会社によくタイに旅行する人がいたので、その方にタイの事情を教えてもらいました。

偶然にも、私が入学する学校のオーナー方にお会いした事があるとの事で、

取り敢えず学校が存在する事は確認出来て安心。
直接学校に電話をかけて、オーナーの方とお話をする事ができ、さらにほっとひと息。

偶然にも、お父様のお仕事の関係でニューヨークに住んでいた事があるとの事でした。

そうこうしているうちに出発のときが。

家族に送り出してもらい、バンコク経由でチェンマイに着きました。

無我夢中で準備をし、飛行機の中で色々考えをまとめ、ある程度覚悟はしてきましたが

後悔の無い人生を送ると自分に誓い、後戻り出来ない事を再確認して

チェンマイの空港に着きました。
オーナーの方直々にお迎えに来て頂き 一緒にモールの中で食事をして学校のドミトリーに向かいました。

 

楽しかったのはここまです 何処をどのくらい走ったか記憶にありませんが、山奥に向かっている事は間違いが無く、

ひたすら暗い山道を走っていました。

電気の灯りは 車のライトだけで、街灯も対向車もなし。

ニューヨークとは正反対の世界に突入したのでした。